
上の写真をご覧になって、旭東教会以外の方で、何をしているのか直ぐにわかった方が居られたら。
すっ、すっ、すごいです。
かーなりの旭東教会通? かも知れません。
いえいえ、旭東教会の方でも、この日(10月1日(日)です)の礼拝に出席して居られなかったら、この写真何かしら、どうしたの?、と心配されるかも知れません。
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以下は、旭東教会の〈2017年10月1日〉・『週報』の表面にある「窓」というコラムの冒頭・5行の抜粋です。わたくし(牧師のもりでございます)が毎週書いております。
字数、概ね284字であれこれ考えながら記しているお部屋です。
【窓】『美しいトイレの力』トイレ改修工事が終了したばかりの夜の祈祷会でのこと。○○正兄が「教会で一番きれいなのはトイレですね」と言われ、みんなで大笑いした。▼新会堂が建築されると、献堂式を執り行い感謝を捧げるが、この度の工事はそれ位の意味があるな、と感じ始めている。▼・・・以下略。
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わたくし、このようなコラムを記した者として、日曜日が近づくにつれて「うーん、どうしたらいいかなぁ。献堂式とはもちろん違うしなぁ」と思いつつ、数日を過ごしておりました。
そして、とうとうやって来てしまった10月1日(日)の朝、教会に到着した方々が、ポツリぽつりと改修工事が終わったトイレを見に来る、その姿を、一挙手一投足を近くに、遠くから見守っておりました。
とりわけ、「待っていたかいがありました」というおやさしいご婦人のお声が聞こえてきたりして、飛び上がるほどに嬉しくなったものです。
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毎週の礼拝報告時、お知らせ欄は、いつの頃からか旭東教会では牧師が、かいつまんで読むことになっています。
10月1日(日)の「お知らせ」の最初には、以下が記されておりました。
○《神に感謝を!「トイレ改修工事」が無事終了です》
既存の車椅子利用が可能な広いトイレが、2つの新たなトイレ空間に生まれ変わりました。2つのトイレともに、ウオシュレット付きの便器で、誰かが入室中は赤色のランプが灯ります(*退室後5秒点灯しています)。
(ア)向かって正面のトイレ
従来通り車椅子も使用可能で床はタイル張り、水で床を流せます。今後手洗いの下に水が汲める蛇口、手洗い上の鏡、タオル掛けを設置します。
(イ)奥のトイレ
小さめですが、美しい壁紙と床、鏡、小物置きも設けました。
(ウ)表の手洗い
流し台の撤去に伴うものです。特製の物置台も設置し、利便性の向上に努めました。後日鏡も設置。
※今回のトイレ工事 窓側に関わる部分は法令規制の関係で一切手をつけられない事情がありました。当初予定の小窓の設置は不可、関連で仕切り壁(パーティション)の天井部分の切り方に制約がありました。お覚え下さい。
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この日を逃したら、トイレ改修工事の感謝の祈りをみんなで捧げるタイミング、逃してしまう。
そう思ったわたくし。
上のお知らせを紹介した後だったと思いますが、「あのですねぇ、報告のおわりに、トイレの前でお祈りしますから、ご協力下さい」とお伝えしたような気がいたします。
トイレの前で読んだのは詩篇127編。その1節にこうあります。
【主御自身が建ててくださるのでなければ 家を建てる人の労苦はむなしい】
皆さんがどんな姿勢をとっているのか、後を振り向きもせずに祈り始めたので知りませんでした。
カメラをもっていた方が、素早くシャッターを押してくれたようです。
何とも珍しい、お祈りの風景が記録されていた次第です。
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どちらのご家庭でも、大事な部屋・空間ってありますね。中でもお手洗いって、大事なところなのではないか。トイレで緊張していたら大変です。ホッとしたい。昔とはトイレのもつ意味合いがだいぶ変わって来ました。
教会が、帰ってくるべき〈ホーム〉としての意味合いを持つ場所であるとしたら、そこに、安心して使うことができるトイレ空間があるかないか。
やはり、すごーく、大事なのではと工事終了後にあらためて考えて居る次第です。
前号に引き続きまして、トイレにまつわるBlog・教会日記となりました。
これからの旭東教会の歩みを誰よりも期待して下さっている神さまの眼差しを覚えながら、これからを歩んで参りたいと思います。
きっとこの取り組みも、いつか、人の思いを越えた形で伝道の実を結ぶ日が来るのではと信じるものでございます。end
※前号のBlog・教会日記をお読みでなければ、ぜひ、合わせてご覧下さい。事情がだいぶ分かるかと。