
東京都内のとある教会(神学生時代にお世話になった牧師・神学者も在籍していた)の礼拝。
10時半に始まる礼拝に必ず持って来ることが求められていたものがあります。聖書、讃美歌ではありません。
それは、〈お弁当〉でした。
『アレテイア』という日本キリスト教団出版局から出ている季刊誌(2002年 №37 特集「食」号)に、かつてその教会で主任牧師をされた方が、記されているので間違いありません。
わたくし(牧師のもりでございます)残念ながら礼拝出席はしたことがないのですが、礼拝式順も紹介されていて、説教にあたるお話がおわった後、確かに〈昼食〉とあります。
お昼ご飯をはさんで、その後、また礼拝が続いていくのです。
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新潟県の中越地方にある、だいぶ奥まったところにある教会。豪雪地帯として知られ、牧師がショベルカーを運転して除雪するような地域にある教会です。
主任牧師のT先生。
「まさか、牧師になって、ショベルカーを運転するようになるとは思わなかった」
と語られたことを思い出します。ま、わたくしも、かつて、「まさか、出汁昆布を売り出す牧師になるとは思わなかった」という経験をした者でありますが。
そのT先生の教会。礼拝後のお昼ご飯がとても活発に準備されている教会でした。交換講壇でおじゃました時など、皆さんが、楽しく、生き生きとしている様子を見て、すごいなぁと心底思いました。
そして、T先生が言われた言葉を思い出すのです。
「お昼ご飯も礼拝だと思ってます」
純真で真面目で、かっこいい T先生の言葉。実に力のあるものでした。
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前置きが長くなりました。今回のBlog・教会日記で何をご報告しようとしているのか。
7月23日(日)、夏のファミリー礼拝のあとに行った、旭東教会のミニサマーフェスティバルについてのお話です。
この話題を記し始めると、礼拝はちゃんと捧げたのですか?なんて突っ込みを受けそうですが、もちろん、そちらもバッチリ、と言いますか、本当に素敵な礼拝だったと思います。
写真は、ホームページのTOP・今週の3枚!にアップロードしていますので、ぜひ、ご覧下さい。生き生きとした旭東教会の今が感じられる礼拝だったと自負いたしております。
2歳のお子さんから94歳の元気なご婦人まで、みんなで、イエスさまのいのちにふれ、分かちあえる礼拝を捧げることが出来たと感謝しています。
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ミニサマーフェスティバルとなんて言いますと、ゴスペルバンドの歌があったのですか? ゲームをしたのですか?と聞かれそうです。
すみません。いっさい御座いません。
あったのは、ただただ、おいしく食べることだけでございました。
はい、それ以外は何にもありません。
でも、とってもたのしくて、豊かだなと思って、食べ過ぎたかなぁと思った程に満腹したのに、心が軽やかだから、夜になって胃もたれがありません。胃薬を飲んだ方からの報告も届いておりません。
おそらく、礼拝で賛美した「聖霊よ 来てください」の短いフレーズの繰り返しが、月曜日、火曜日、水曜日のどこかに暮らしの中で起こったのではないかと想像します。
本当にそんな日曜日だったのです。
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たこ焼き、おにぎり、卵汁、甘酒、きゅうりのきゅうちゃん、こんぶの佃煮、手作りゼリー、フランクフルト、ピザトースト、もぎたてブルーベリー、そして、特選珈琲(これは嘘偽りなく本当に特選。お好みの味を聞き、数種類の豆をブレンドして豆を挽き、ドリップ)を煎れたり、パンの耳ラスク、チョコレートなど等。
どれもおいしいのです。
準備はそれぞれに、参加したみんなが工夫して行いました。それもたのしかった。いっしょに食べる。これもうれしい。
後片付けもたのしかった。たぶん皆がそう感じた日曜日でした。
旭東教会は決して大きな教会ではありません。全国的に見れば小さいとも言えません。30人~40人弱が週毎に集う地方の教会です。
そこには聖書に示されるほんものの何かがある、と確信を持ってお話できると思っています。
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わたくしの尊敬する、北九州市の筑豊の炭田地帯で長年伝道されたU牧師という方が居られます。今は隠退され、長崎県でお過ごしです。
U先生、並大抵の方ではないのですが、ある時に、こう仰いました。
「ぼくは、外に出たとき、独りではぜったいに食事はしないことにしている。誰かが一緒に食べよう、という状況がなければ、空腹のまま家に帰ります」
忘れられないひと言です。
なかなか、これを実践し続けるのはたいへんですが、これと決めたら貫き通す方ですので、間違いなくそうされ続けたはずです。
イエスさまがお一人で食事をする場面、聖書からはどう考えても想像できません。それとぴったり重なる生き方だと思います。
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山口里子さんという方が書かれた『いのちの糧の分かち合い ―いま、教会の原点から学ぶ―』(新教出版社)にこんな一節があります。
【さてイエスが伝道活動を始めた時にまず行ったこと、それは「癒し」でした。実際、もしもイエスが「説教」をすることで伝道活動を始めたとしたら、そんなに多くの人がイエスの所に来たでしょうか?】
7月23日(日)の礼拝で示されたのは、5つのパンと2匹の魚の物語からの福音でした。
分ければわけるほど増えるものは何か! イエスさまが示そうとされたのはどのような神の国だったのか。
それぞれに聖書の物語に触れ、何かを感じ、何かしらの信仰のことばがきっと与えられたのではと思います。それぞれに受け止め方は違ったでしょう。それで良いのです。
そして、あの、5000人の給食は、共食の場であったことが分かります。
同時に癒しの場となったのだと。
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たぶん、旭東教会のミニサマーフェスティバル、来年・2018年も同じように、みんなで食べるために必死になって力を合わせ、賜物を捧げるひと時をもつのだろうと思います。
いいえ、それどころか、折々にみんなで食べることを、旭東教会の体力や事情の中で、大切にしていくのはこれからも同じだろうと思います。
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神の国の食卓はどこにあるのでしょうか?
聖書の中でしょうか。天国だけでしょうか。何万円、何千円もかけてお出掛けしないと見いだせないのか。
いいえ、確かに、ここにも神の国の食卓がありました。
笑顔があふれた日曜日。いいえ、あれから5日が過ぎ、まだその余韻は消えません。たぶんずーっと消えません。
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ミニサマーフェスティバルの片付けが始まった頃、いったん家路に就いたはずの教会員の90代の男性が教会に戻って来られたそうです。
「どうしましたか?」と尋ねると、「感激してしまって、荷物を全部おいたままだったことに気付いて帰って来ました」とお話されたそうです。
幼子がスキップして家に帰るようだった、ということのようです。
神の国は遠くではなく、確かに、ここにございます。end