
旭東教会のBlog・教会日記も数えてみるとNO.45となっています。
わたくし(牧師のもりでございます)、前任の指方信平牧師(札幌北光教会へ転任)から「3月末をもってきっぱりと従来のホームページを閉じます」とのご連絡を頂いたときは焦りました。
が、4月から新たなホームページが立ち上がってから9ヶ月。概ね、週一度は何らかの話題をお送りして来ることが出来ました。
今は、指方先生の潔い決断に深い感謝を覚えます。
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一番下の方のカウンターも8470回を超えました。
HPのアップロード作業をするだけでもこのカウンターは数が増すようですので、その分は差し引かなければなりませんがそれでも立派な数です。
「Google」や「YAHOO! Japan」などの検索でも、いい感じに成長してきています。
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どこにお住まいの、どなたがわたしたち旭東教会のHPをご覧下さっているのかは想像できませんが、時に、伝わって来る声があります。嬉しいものです。
「毎朝、デボーションのあと旭東教会のHPを見ています」と言って下さる方も居られました。
もったいない話です。
ある方は、「旭東教会には高齢の方が多いので訪ねてみたいと思いました」と言って下さいました。
びっくりするお声でしたが、なるほどと教えられました。写真の選び方もこの言葉で変わりました。
また、とある元・旭東教会の会員の方からは、「定期的にホームページを見ているから、久しぶりに教会に来た感じがしません」とのお言葉。
また、わたしも、海の向こうの外国でお過ごしの会員の方に、「ホームページを、どなたかに頼んででも一緒に見て下されば、旭東教会の様子は分かりますよ」とお伝えしました。
本当にそんなHPだと思っています。
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つい最近、「経験の共有は愛」という言葉に触れました。
キリスト教と直接関係のない文脈の中に見つけ心に残ったものですが、これ、深い言葉だと感動しました。
そして、そういう「経験の共有は愛」ということをこの旭東教会のホームページでも出来れば、と無意識のうちに願っていたことに気付かせて頂いた次第です。
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旭東教会は今年、一度だけ、チラシ配りをいたしました。いわゆるトラクト配布です。11月22日に関田寛雄先生をお迎えする礼拝・講演会のチラシでした。
短時間でしたが、朝、JR西大寺駅前付近に4名で立ち、小さなご案内を配りました。
それで誰かがお出でになったわけではありませんが、成果はありました。
人との触れ合いもありましたし、西大寺駅の人の流れというのを初めて知りました。また、無力さをここでも知りました。秋口でしたが寒かったです。
そして、これは毎週なんてとても続けられないなぁ、とも思ったものです。
そして今思うのです。
教会ホームページは現代版のチラシ配りだ、と。
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インターネットが、わたしたち凡人レベルでも身近になり、普及し始めたのはWindows95の時代以降です。
メール送受信時の「ピーヒョローロロー」の音が懐かしいです。
20年前ですが、少し前とも、だいぶ前とも言えます。成人を迎えた青年からすると10数年でも大昔でしょう。わたしを含め、50歳を超える方にとっては、10年はほんの少し前、20年でもそう昔ではないはずです。
いろいろと便利になったものです。サラリーマン時代に使っていた「ポケベル」と言っても全く通じない世代もかなり多いこの頃です。
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さて、旭東教会が生きている教会としてホームページから発信を続けること。
それは自己満足ではなく、新たな出会いを求めて、究極的には今週の《み言葉"余滴"》に記している「イエス・キリストとの邂逅(かいこう)」が生まれることを期待してのものです。
ですから、このHPは、たゆみなく更新を続けます。
本気で取り組みます。
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キリスト教会がキリストの教会であるための生命線は、礼拝共同体として存在するということ。
わたしはそう信じています。全てが日曜日のそこに集約されています。
今号の写真は、12月27日(日)の旭東教会・歳晩礼拝のときの一枚です。
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そこには、
初めて旭東教会の日曜日の礼拝出席された方。
心配していたけれど、元気に顔を見せてくれ喜びをもって賛美している方。
お連れ合いを天に送られて間もない方。
4月からの牧師交替にともなって招聘委員長としてご奉仕された方。
先だって転入会された方。
等など、居られます。お出でになれなかった大切なみんなの姿も思います。
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いろいろなみんなが、目には見えないけれど、イエス・キリストを中心として一つの体の、ひと枝として居られる。
そう思うと、わたしは礼拝の中でぐっときてしまいました。
礼拝以外の様々な活動。
例えば聖書の学びや賛美歌を歌うことも、キリスト教ではないグループでもあり得ることです。だから、礼拝こそがわたしたちの要です。
当然のことなのですが、これからも礼拝に限りない力が与えられることを信じて期待し、祈りつつ、わたしたちは前進して行きます。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」と、宗教改革者マルティン・ルターが言ったそうです。
わたしたちは、ルターと同じ心意気で、「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日私たちは礼拝を捧げる」と行きたいものです。
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と同時に、切り離すことが出来ない様々に結び付きのある旭東教会の日曜日の出来事を中心とした今を、このホームページは発信して行きたいと思います。
例えば、この下に添えさせて頂いた方々の笑顔。何がそんなに楽しいのか、数日後に、お一人の方にお尋ねしました。
答えは「わからんなぁ」でした。
嬉しいことです。真面目に礼拝。そして楽しく笑う。また、涙する。
我々、深刻に悩むこともあります。無力だなぁと感じることが多いのもわたしたちの日常です。
でも、礼拝には主イエス・キリストの復活の力があります。
キリストの恵みが確かに宿っています。本当です。
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2016年も、さして代わりばえのしないホームページになるだろうと思います。
でも、どうぞ、これからも訪ねて来て下さい。
神さまのみ業は、わたしたちのマンネリを超えて、新しく示され続けると信じます。
いつかは旭東教会で、そして、礼拝でご一緒いたしましょう。
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あるいは、いつも教会で出会っている方であれば、旭東教会のホームページを、どこかで、思いっきり誉めてあげてください。
きっと、きっと、主イエス・キリストの御名が崇(あが)められることにつながっているはずですから。
主の年2016年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。キリストのうちに end
