
きのう=10月25日の旭東教会の日曜朝のひとこまです。
JC(ジュニアサークル)で今年から始めました「インタビュー礼拝」を行いました。
インタビューを引き受けて下さったのは、文(あや)さんです。
とっても素敵な時間でしたので、今日は、少しばかり皆さんに、その様子をお伝えいたします。
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戦中の何年位なのでしょう、満州でお過ごしになって19歳の時に倉敷に引き揚げて来られたという文さん。
1949年のクリスマスに洗礼を受けておられます。信仰の歩みはもう間もなく66年目ということになります。
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文さんの話し方は、「わたくし」という言葉がとてもピッタリでありながら、落語の中に出てくる、気っぷのいいお姉さん的な感じで、あら、文さんって江戸っ子?と錯覚しそうな感じでした。
そのお人柄の一端が現れていたのが、インタビューアーの健さんの「お好きな食べ物は?」という最初の方の質問にお答えになった時の言葉です。
「わたくし好き嫌いなく何でも頂くんですが、あの、どろどろしたようなものが嫌いなんです。ヨーグルトや山芋ようなものが苦手です。それに較べて、食感がいい筍(たけのこ)のようなものが好きなんです」と文さん。
そのお話ぶりもハッキリ、しっかりという感じです。
どうですか!お人柄が何だか伝わって来るようです。
シャキッと、パキッとしているのです。そのお人柄ゆえに、どろどろ、ぐちゃぐちゃな食べ物は苦手とお見受けしました。
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教会との出会いは?という意味の質問が次にありました。
健さんによる、とても丁寧な準備が事前にありましたので、唐突な質問というわけではありません。
文さん。これを受けてお母さまのことに触れながらお話を始めました。
前述のように、19歳の時、満州から倉敷にご家族で引き揚げて来られた文さん。程なく大好きなお母さまがお亡くなりになったそうです。
その当時の心模様をこうお話になりました。
「わたくし、寂しくてさみしくて」「母とべったりでしたので、悲しくてどうにもなりませんでした」と仰いました。
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そんな文さんを見るに見かねたのが、お母さまと親しいお交わりがあった倉敷教会の当時の牧師・東方信吉先生のお母さまだったそうです。
ちなみに、東方牧師は、わたしたち旭東教会の兼務牧師を1950年~1951年の間務めて下さっています。
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東方牧師のお母さま、こう仰ったそうです。
「教会にいらっしゃい、そしたら慰められるわよ」と。
このひと言が全てだった。純真であり、本当に助けを求めておられたことが伝わってきます。
その頃の文さん。教会に行くとこんな気持ちになれたそうです。
「わたくし、お友だちもありませんでした。でも、教会に行っていると、なんとなしに、自分の居場所がある、落ち着く。癒される気がして、それで何も深く考えないで、毎週日曜日に教会に行くようになっていたんです。」
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インタビューアーのTさんからの「洗礼を受ける切っ掛けは?」という核心に触れる?問い掛けにたいして、文さん、あっさりとこうお話しになりました。
「わたくし単純なので、東方ヒナさんがこう言われたのを信じました。洗礼を受けると天国に行ってお母さんに会えるのよ。そうじゃなければあなたはお母さんに会うことは出来ないのよ、という言葉を聴いたんです。」
洗礼を受ければ母に会えるのならば、「それじゃ受けます」という感じだったんです。
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羽仁もと子先生にも大きな影響を受けた文さん。その思想に導かれ、「友の会」の活動を一生懸命になさったそうです。
その中に、脇本豊子先生も(旭東教会の4代前の脇本寿牧師のお連れ合いです)そこに居られて、旭東教会に来るようになりました。
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文さん、「好きなみ言葉は」の問い掛けに、幾つもありますがと答えながらまず挙げられたのは、パウロ書簡の次のみ言葉でした。
【テサロニケの信徒への手紙 一 5:16~18】
5:16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
「このように、いつも思っています。やはり、どんなことでも喜びに変えていかなければならない、と考えて心掛けています。」とのこと。
その他にはこれも挙げられました。
【ヨハネによる福音書 15:12】
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
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そして、旭東教会のジュニアサークル・サンデーの重要メンバー小学1年生の直ちゃんの名前を挙げてこう言われました。この日の直ちゃん、お母さまのご都合でお休みでした。
「直ちゃんがいらしたら、お話しようと思ったんですけれど、直ちゃん、お母さんといつも手を繋いで歩いているのかなぁと思うんですが、わたくし、母と手を繋いで歩いていたのが、手を繋いで歩くことが出来なくなりましてねぇ、それで悲しかったでしょう。
それでその時に、神さまがしっかりと手を繋いで下さっていることがわかったんですねぇ。だから、教会に来なかったら、だんだんとその神さまの手がゆるんで来るのではないかと思ったりして、離れてしまったら大変だなと思って、出来るだけ手を繋いでしっかりと手を握って欲しい」
そう言われました。有難いお言葉でした。直ちゃんのお母さまにもお知らせしなければなりません。
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また、さらに、「いつもわたくしが大切にしている言葉がこれです」と挙げられたのは次のみ言葉です。
【イザヤ書41章10節】
41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
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インタビューアーの最後の質問は、お好きな賛美歌は?という問い掛けでした。
文さんは答えます。
「たくさん好きな賛美歌はありますが、21-461の〈みめぐみゆたけき〉」ですと。
※21-206〈七日の旅路〉も愛唱のようです。
誰からともなくだったか、誰かの声がかかったか。光代さんがオルガンを弾いてくださり、集っていた一同で賛美をしました。昔子どもだったみんなで高らかに賛美です。
21-461〈みめぐみゆたけき〉
1節
みめぐみ ゆたけき 主の手にひかれて、
この世の旅路を あゆむぞうれしき
(くりかえし)
たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ、
みあとを行くこそ こよなきさちなれ。
2節
さびしき野べにも、にぎわう里にも、
主ともにいまして われをぞ みちびく。
3節
けわしき山路も、おぐらき 谷間も、
主の手にすがりて やすけく 過ぎまし。
4節
なすべきわざ終え、みあとに行くとき、
み助け頼みて、ヨルダンを渡らん。
証しの内容に本当にピッタリの賛美歌でした。
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子どもたちの姿はこの日ありませんでしたけれど、何とも豊かな朝となり感謝でした。
神さま、文さん、本当にありがとうございました!end
追伸:文さんのお連れ合い、宗誉さんもこの日はご一緒して下さいました。